「木霊の詩」   粗筋         5-1  5-2          10e
木霊の詩 8

私の家のリビングには、不思議な木がある。
前の住人が残していった、大切な木だという。
高さ1メートル半ほどのその木は私と二人の息子に安らぎと癒しをくれる、私達家族にとっても大切な木になっている。



第八夜


子どもたちが遊ぶ姿を見つめていたお義母さんは、いつの間にか、ひっそりと、深い眠りについていた。
ハジのおじちゃんの奥さん――智子(ともこ)さんが、夕方になって部屋を覗いた時、子どもたちは相変わらず楽しそうに遊んでいて、ベッドの上のお義母さん(智子さんには実の母)も眠っているように見えたという。
けれど、目尻に溜まった涙をハンカチで拭おうとした時
「もう、起きないよ」
と、大が智子さんに言った。
「トモくんが言ってたよ。もう、起きないって」
陸も続いてそう言うものだから、智子さんは慌てて母親の首筋に手を当てて脈を調べた。
そして主治医を電話で呼びだし、その死を確認してもらったそうだ。

憔悴しきった智子さんに代わり、ハジのおじちゃんと私の父がその夜を仕切って準備を進めた。
葬儀の準備と、その前にやるべきこと――井戸の中にあるらしいという、トモくんの遺体回収作業と。

お義母さんの遺体は葬儀屋さんがドライアイスを用いて防腐処理をしてくれている。何せ、井戸からトモくんの遺体が出なければ、お義母さんの望みである息子のトモくんとの合同葬儀ができなくなり、そうなればお義母さんの葬儀も出来ないことになってしまう。
名家である中村家としてはなんとしても合同葬儀を執り行う必要があった。

朝から井戸の水を抜き、昼には庭に重機を入れて、井戸の外堀を崩した。その後は手作業で中をゆっくり、そっと掘っていく。どんな状態になっているか分からない遺体を傷つけないように、まるで遺跡を発掘するような丁寧さで井戸の底を調べて行った。
「骨があった!」
その声が庭に響いたのは、夕暮れ間近の頃だった。
骨は子供のものと、鳥のものがあった。
「トモくん、屋根裏部屋から飛び立とうとした鳩をその胸に捕まえて・・・、鳩を巻き添えにして井戸に堕ちたって・・・。だから鳩のお墓を作らなきゃって言ってた」
私は父とハジのおじちゃんだけに小声でそう言った。他の誰が聞いたとしても、絶対に信じてもらえないであろうから。

井戸の中からトモくんの骨が取り出され、一旦監察医の手に渡された。
死因なんて解るはずないだろうけれど、法律だから仕方がない。
作業をしていた人たちが庭からいなくなると、私と父、ハジのおじちゃんは井戸の底から鳩の骨を拾い集めた。鳩の骨の傍にはボロボロに朽ちた布のようなものがある。
「なんだろ、コレ?」
だがその布のようなものは指で摘むと、すぐにポロポロと崩れてしまった。
「相当古い布のようだけど、智くんの着物はもっとしっかりしていたからそれとは違う布だな」
父が鳩の骨を拾いながら、ちらりと私の手元を見て言った。
「まあ、干してあった手拭いのようなものが井戸に落ちたんだろう」
そして井戸の横にある物干し台を見上げてそう結論付けた。
布は確かに手拭いかそれに似た素材のように思える。相当に傷んだその布に、私は妙な既視感を覚えていた。

「もう、こんなもんだろう」
ずっと黙っていたおじちゃんが、鳩の骨を持って立ち上がった。私と父もそれに続く。
そしておじちゃんの許可を得た場所に、子どもたちが穴を掘って鳩の墓を作った。
トモくんとの合同葬儀がお義母さんの望みなら、自分とともに亡くなった鳩の墓を作りたいというのがトモくんの望みだった。

鳩の墓に花を供えた時には、もう、日付が変わろうとしていた。
流石に疲労の色が濃くなってしまった子どもたちを、葬儀が終わるまでこの家に居させることは無理だと思えた。手伝うつもりで準備をしてきたけれど、名家である中村家の葬儀となれば、地域の人々が手伝いに来るので私はこの土地のしきたりを知らない分、邪魔になるかもしれない。
ハジのおじちゃんの助言もあって、翌朝一番の列車で家に帰ることにした。

――トモくんの葬儀に出席できなくてごめんね。でも、トモくんの代わりに鳩のお墓、作ったよ。智子さんもハジのおじちゃんも、トモくんが昔作ったお墓共々参ってくれるって言ってるから・・・。ごめんね。トモくんのお墓参りに、また必ずここに来るからね

お詫びにもならないだろうけれど、鳩や他の動物のお墓にも花を供え、冥福を祈った。
そしてお義母さんの棺にお別れを言い、私はそのまま帰り支度をすると、中村家に居る人々に葬儀に出られない事を詫びて回った。
元々縁の薄い私がこの家に居座っていることに疑問を持つ人も在ったからなのか、
「お子さんが小さいから仕方ないわよ」
などという冷めた言葉で送り出されることになった。


結局、また徹夜してしまった私は「昼過ぎには自宅に着くだろう」と言う父とハジのおじちゃんに見送られて、子どもたちと共にタクシーに乗り込んだ。