「木霊の詩」   粗筋         5-1  5-2          10e
木霊の詩 5-2

私の家のリビングには、不思議な木がある。
前の住人が残していった、大切な木だという。
高さ1メートル半ほどのその木は私と二人の息子に安らぎと癒しをくれる、私達家族にとっても大切な木になっている。



第五夜 その2


「あんたら、何しとるんです?」
「え?」
見知らぬ女性に声を掛けられ、自分達が見知らぬ場所に座り込んでいたことに気が付かされた。
あの強烈な目眩のような感覚も、既に消えている。
私は私達を覗き込むその女性を見上げた。紺色の、地味なブレザーにズボンという制服を身に着けている。
「あの・・・、大伊那村の鈴美小学校へはどうやって行くのでしょう?」
ついでだからと訊ねてみると、その女性はバスの乗車券売り場の人で、行き方を教えてくれた。
「ああ、小学校なら今そこに停まっとるバスに乗って10分くらいですかね。『小学校前』で降りれば目の前です。」
見るとバスというのは写真などでしか見たことの無いボンネットバスだった。
―――今の時代にまだ現役のボンネットバスがあるなんて・・・
おまけに運転手の他に、女性の車掌さんまで乗っている。ワンマンバスが当然の現在にあって、まるで過去にタイムスリップでもしたかのような光景だった。私は軽い目眩を覚え、深いため息をついた。
「で、『小学校前』までは大人1人、小学生2人でお幾らですか?」
気を取り直して訊ねた私に、更なる衝撃が待っていた。
「3人で40円です」
―――40円!???
安すぎる! いくらなんでも安すぎる! 私達の住むK市の初乗りは170円(大人)だ。
「おばちゃん、オイラの家、歩く方が早い」
軽いショック状態だった私を、トモくんの言葉が正常に引き戻してくれた。
「あ、そうなの? じゃあ、バスには乗らないで行きますね。ごめんなさい」
怪訝な表情の売り場の女性にペコリと頭を下げて、私達はトモくんの後ろを歩き出した。小雨だが傘を差す程ではなかったので、それぞれがそれぞれの荷物を持って歩いた。
途中、木製の電信柱に尋ね人のチラシが張ってあるのを大が見つけた。
「あっ、トモくん!」
「え?」
『○月×日午後から行方が分かりません。見かけた方は大伊那村竹見の中村まで』
―――カラーじゃなくて白黒写真?
―――連絡先に電話番号も無いなんて?
電柱の前で暫し足を止めていると、トモくんが
「あっ!思い出した!!」
大きく叫んだ。
そして続いて発せられた言葉の意味に、私は呆然としてしまうのだ。
「オイラ、××日の夕方、死んだんだ!」





その日、数日前に死んだウサギの墓に花を供え、ケガをしていたハトの世話をするために屋根裏部屋に上がったトモくんは、ハトの包帯を取ってケガの様子を確認しようとした。だが、包帯という枷を外され自由になったと思ったのであろう傷ついたハトは屋根裏部屋から外に飛び立とうと羽ばたいた。慌てたトモくんはハトを抱き留めようとして屋根裏部屋の小窓から身を乗り出し・・・・・・
「真下にあった古井戸に、頭から落ちたんよ」
「井戸に・・・?」
「おう。もう使っとらん井戸でな、危ないからって周りを高い板で囲っとった。けど上は開いたままやったから・・・。で、そっからバシャーンと・・・」
笑顔で言うトモくんは、いっそスッキリした表情をしていた。
「そうだ、そうだ。オイラはあん時、死んだ。そうだったんだ」
暫しの沈黙の後、恐るおそるという感じで陸が口を開いた。
「トモくん、死んじゃったの?」
大も続く。
「でも、ここにいるじゃん。ご飯だって食べれるよ?」
私は何と説明しようかと迷ってしまう。実際、死んだと自ら告白しているトモくんは、そこに、私達と同じように生きているようにしか見えないのだ。
だがその答えはトモくんがあっさりと与えてくれた。
「オイラも死ぬっちゅうことがどんなことか分からん。でも、多分、まだあの世ってところからお迎えってヤツが来てないんだと思う。母ちゃんや婆ちゃんが知らんままだし、オイラも遣り残したことがある・・・気がする」
「遣り残したこと?」
「あのハトも巻き添えにしたのかもしれん。だったら墓、作らんと」
ケガをしていたハト。そのハトを窓の外で抱き留め一緒に井戸に落ちたのか。
「とにかく、トモくんのご家族に会ってみよう。おばちゃんと大と陸で、今のトモくんの話、してみるよ」
「うん、頼むわ」

私達は降りの強くなった雨に傘を差し、トモくんの家を目指して歩き出した。
トモくんの言っていたとおり、歩く方が早かった。バスの通る道からは随分と離れた場所に、中村家はあった。
まだ夕方だというのに暗く感じるのは、この雨の所為だろうか?
大きなお屋敷とその後ろに広がる広大な田畑が不気味に思える。かなりの資産家なのだろう、この中村家というのは。
「ごめんください、中村さんのお宅はこちらでしょうか?」
トモくんが一緒なのだから間違うべくもないのだが、初めて訪ねる人間が分かりきった様子を見せるのもおかしな事だ。
「中村はこの辺にたんとあるけど?」
応対してくれた老女の態度は素っ気無い。
「あの・・・、中村智くん・・・トモくんって呼ばれているお子さんの家を探しています」
言い終わるか終わらないかのうちに、家の中から私と同年代と思われる女性が飛び出してきた。
「あ、あんた、知っとるんですか? 智の居場所、知っとるんですか!?」
裸足のまま飛び出てきた女性は私の両腕をガッシリと掴んで、智の居場所を教えてくれと懇願する。私はトモくんの方を見た。だが、私には見えるトモくんの姿が、この女性には見えないらしく、
「教えてください、教えてください! ウチには男ん子はあん子だけ。あん子はこん中村の跡取りなんです!」
ただただ、トモくんの居場所を訊きながら号泣するだけであった。
私は決心した。
事実を伝えようと。
「トモくんは・・・、トモくんは」
信じるか信じないかはこの家の人たちの問題だ。
「居なくなった日の夕方に、井戸に落ちました」
だが、突然現れた見ず知らずの女にこんな重大なことを告げられ、素直に信じる人間はいないだろう。それでも、私は事実を語るしかなかった。
「ケガをしていたハトが屋根裏部屋の小窓から飛んでいこうとしたのを留めようとして、一緒に真下の井戸に頭から落ちたのです」
「うそじゃ!」
私の言葉も終わらないうちに、私がここを中村家かと訊いた老女が大声で叫んだ。
「嘘じゃ、嘘じゃ!あんだけ探したんに、何故こげな得体の知れん女が・・・まだ・・・まだ探さんでおった井戸の話をするがか。話が出来すぎとる!」
「ママ〜」
怖くなったのだろう、大と陸が私の後ろにしがみ付いてきた。
「井戸はワシが管理しとった。その井戸で事故なぞ、起こりようないわ!」

ここでトモくんが私に教えてくれたことによると、このお婆さんは先代の当主(トモくんの祖父)が亡くなってから、この家の全てを取り仕切ってきたらしい。昔からの豪農である中村家だが、トモくんの父親も若くして亡くなり、今やこの中村の家と跡取りであるトモくんを守り育てることだけが自分の使命であると頑なに信じているのだとか。

「見るがええ! 井戸はあのとおり、高い板で囲っておる。上からなんぞ、狙ってでも飛び込まん限り落ちれるもんか!」
トモくんの母親も、いつの間にか私から手を離して両手で顔を覆っていた。
この光景に、私は言葉を失った。これ以上私が留まっていても、彼女達を傷つけるだけだろう。
「突然押しかけてきて失礼なことを申しました。でも嘘は言っておりません。智くんが一日も早く見つかることを願っています」
私は震える大と陸の肩を抱いて、中村家に背を向けた。自分の行為が良かったのか悪かったのか、分からない。
「おばちゃん」
中村家から少し離れた道で、トモくんが話しかけてきた。
「おばちゃん、ありがとな」
「ううん。何も出来なくてごめんね。で、これからトモくんはどうするの? またウチに来る?」
私の問いに、トモくんは首を横に振った。
「婆ちゃんが井戸ん中からオイラの身体を見つけてくれれば、あの世ってトコからお迎えが来る気がする。けど・・・」
「けど?」
「・・・・・・見つけてくれるまで、オイラは自分の身体の傍から離れられん。母ちゃんことも婆ちゃんことも、心配だしな」
トモくんはニコっと笑った。その笑顔の奥に、哀しさと寂しさを押し隠しているのが痛々しい。
「あ、そうだ、おにぎり」
「え?」
「トモくんの分、持ってって」
私は意識して明るく言った。
「・・・・・・うん。ありがと。おばちゃんのご飯、美味かった」
おにぎりの包みを受け取り、トモくんはクルリと踵を返した。自分の身体のある場所に帰って行ったのだ。
「トモくん、元気でね!」
「またウチに遊びに来てね!」
大と陸の声に、トモくんは振り返ることなく手を振った。

願わずにはいられない。
お祖母(ばあ)様が、あり得ないなんて思わずに、井戸を調べてくれることを。
だが、それも難しいだろう。
唯一人の跡取りの男の子。それが自分の管理の手落ちで事故死したとしたら・・・
時代が時代なら斬首モノだ。
否、この時代にあっても、あの年代の女性なら迷うことなく死を以(も)って責を負うだろう。
誰も悪くないのに、誰もが苦しみ悲しむ。
私は子ども達に見られないようにして泣いた。歩きながら、泣いた。止まらぬ涙を、静かに降る雨が隠してくれた。















「ねえ、ママ」
「なあに、大?」
暗くなった雨の中、ただただ歩く私に息子が訊いた。
「どうやってお家(うち)、帰るの?」
「!!!」
そうだった。
不思議な空間を通って来てしまったこの場所が、一体どこなのか分からないのだ。
「と、とにかく、さっきのバス乗り場に戻って、電車の駅までバスで行けば、帰れるよ。大丈夫」
が、
これが全然大丈夫では無かったのだ。
「終バス、出た後だ・・・」
何故? どうして?
バス乗り場の時計は夜の7時を5分過ぎた時刻を指している。
「終バスは7時、それに鉄道の駅に行くならここからは乗り換えないと行けませんし」
乗車券売り場の女性が教えてくれた。
「バスは明日の朝まで動かんですけど、この辺りじゃ旅館も何もないですからねぇ」
だが彼女は困っている私達に、親切にも、バスの待合所を使わせてくれると言ってくれた。
「困ったときはお互い様っていうし、後で毛布も持って来ますんで」
待合所と言っても10畳ほどの広さがある小屋だ。長椅子に机、水道もある。
「ここはバスの本数が少ないですから、乗り遅れた人のために大きめに造ってあるんですよ」
毛布を運んできてくれた女性に3人で心からお礼を言って、私達はとりあえずの落ち着き場所を得た。
子ども達も疲れたのだろう、おにぎりを食べるとすぐに毛布に包まって寝てしまった。
私はと言うと。
今までの出来事をぼんやりと考えていた。リビングの木から出てきたウサギにハトにトモくん。みんな関連があるように思えるけれど、出来過ぎているようにも思える。それでも、今居るこの場所が、私達の現代では無いということは確信している。いつなのか、それは分からない。けれど分かるのだ。見慣れないこの風景が、土地の差ではなく時代の差を見せてくれている。子どもの頃に見た、父のアルバムを見ている時と同じ感覚、同じ匂いがするのだ。
我が家のリビングにあるあの木。ただの観葉植物だと思っていたあの不思議な木は、一体私に、私達親子に何を見せ、何を言いたいのだろう。そしてこの中村智という子に起こった事故が、私達にどう関係しているのか。
・・・そこまで考えて、私はため息をついた。職業柄なのか、ついつい日常の出来事を広げ、掘り下げようとしてしまう。今夜はとにかく、身体を休めることが先決だろう。明日、家に帰るという大冒険が待っているのだから。