木霊の詩 3
私の家のリビングには、不思議な木がある。 前の住人が残していった、大切な木だという。 高さ1メートル半ほどのその木は私と二人の息子に安らぎと癒しをくれる、私達家族にとっても大切な木になっている。
第三夜
その日は夕方から雨が降っていた。 「学校の帰り道で降られなくて良かったね」 「うん」 上の子がランドセルの中から宿題のノートを出しながら返事をする。 下の子は半日登園の日だったから、帰宅時間にはまだ空は雨模様だった。 上の子は自分の机で宿題をし、私はリビングの隅にあるパソコンで仕事。下の子は隣の家の友人宅に遊びに行っている。 シトシトと降る雨はBGMにもならなくて、家の中はシーンと静まり返っていた。 「お茶、入れようか?」 「うん、ボクはココアね」 「はいはい」 静けさに負けて立ち上がった私はふと例の木に目をやった。 ―――あっ、実が膨らみかけてる・・・・ 今夜あたり、また何かが生れ落ちてくるのかもしれない。 そんなことを思いながら、私はミルクココアと自分にはミルクティーを入れた。 「入ったから休憩にして、お茶しよう」 上の子に声を掛けて、私はリビング中央のテーブルにお茶とクッキーを置いた。 「このクッキー、お隣のおばちゃんが焼いたんだって。今度ママも挑戦してみようかなぁ」 美味しい手作りクッキーをかじりながらそう言うと、子どもはその表情で 『やめておきなよ・・・』 と訴えてくる。 無理なのは当然で、元々私は菓子作りが苦手な上に、我が家のオーブンは今壊れているのだ。ただ、手作りのおやつも出せない自分に対する情けなさというか、言い訳というか・・・。 「あっ、あの木の実、大きくなってきてるね?」 子どもも気付いたのか、嬉しそうに指を指す。 「今度もかわいい動物だといいね」 「うん!」
遅めのおやつだったからなのか、そんな会話を交わしているところに下の子が帰ってきた。 「ただいま〜」 「お帰りなさい。ちゃんとさよならってご挨拶してきた?」 「うん。おばちゃんがママに宜しくって」 子どもを遊ばせて貰ってクッキーまで頂いて・・・。本当にお礼の挨拶をしに行かないといけないのは私の方だ。 ―――明日は出版社の人に会うから、何か買ってこよう。 本当に、手作りでのお返しができない私は情けない。 私は下の子にもミルクココアを入れてテーブルの上に置いた。 子ども達とは、今日の出来事をいろいろと話してもらって遅めのおやつ休憩は終わりになった。 上の子は宿題の続き、下の子はテレビ。そして私は夕食の支度へとそれぞれのやるべきことをやるべき場所へと散っていく。と言っても小さな家の中。お互いの気配はよくわかる。 やがていつものように三人一緒に夕食を取り、お風呂に入り、子ども達を布団に寝かせた。 「今日は割れないみたいだね」 「そうだね、明日の夜かな?」 子ども達はずっと気にしていたのか、リビングと間続きになっている和室の布団から顔をあの木に向けていた。 「じゃ、おやすみ」 「おやすみ、ママ」 「おやすみなさ〜い」 そして私は机に向かう。 今夜は何かが起きそうで、結局何も無く終わりそうな夜になった。
その後、私はキリのいいところまでと思い、パソコンを叩きながら紅茶を飲んでいた。そんな私の横に、いつの間にか人の気配を感じ・・・、ふと見上げると、男の人が立っていた。 ―――ど、どろぼう!? 混乱して固まってしまった思考と身体。とにかく子どもを守らねば。 立ち上がろうとして失敗した私。だが、よく見ると、その男は私の既知の者だった。3年以上会っていず、3年以上連絡も無く。だが顔はあの時と同じだった。 「あなた・・・」 そう、3年前に私達家族3人を残して出て行った、元の夫、東川はじめ、その人だった。 「どうしてここに・・・?」 夫が出て行った時に住んでいた家は引き払ってしまい、夫の実家からの慰謝料という名の手切れ金でこの家を買った。この家の場所は夫の実家や夫関係の知人には知らせていない。 「誰に聞いたの?」 「・・・・・・・・・・・・」 しかし夫は無言だった。 ハッとした私はあの木の実を見た。
割れている
あの実から出てきたのは夫だったのか!? でも、なぜ、今更・・・?
夫はあの日、会社に出勤したままアメリカに一人で転勤してしまったのだ。出張と聞かされていた私は翌日現れた東川家の弁護士から総てを聞かされ、離婚届に判を押すことになった。 詳しい事情は思い出したくも無い。 あんな勝手な理由で出て行ったあの男が、なぜあの木の実から現れるのだ!? 彼の表情から何かが読み取れないかと、私は彼の顔を凝視した。だが彼は無表情で・・・。 そしてお互いがずっと黙ったまま時間(とき)が流れていった。
「ママ!」 子どもの声にハッと顔を上げると、既に時間は朝の7時。 「ママ、仕事しながら寝ちゃダメだよ〜」 辺りを見回すも、彼の姿はどこにも無い。 「あっ、実は? 実はどうなった?」 私は子供よりも先に例の木の実を見やった。 「実ならまだ割れてないよ」 「今夜だろうって、ママも言ってたじゃない?」 「そ・・・そうだよね・・・」
私は機械仕掛けの人形のように、急いで朝食とお弁当を作った。 そんな私の態度に子ども達も何かを感じ取ったようだが、寝坊してしまったから時間が無い。ろくな会話もできないまま、子ども達は出掛けて行った。
あれは・・・夢・・・
私は夫に会いたいのだろうか? あり得ない! 会うことなんて、一生無い! 声だって、聴くのはごめんだ。
心の中で叫び続け、私は私の気持ちを落ち着かせようとした。 昼からは出版社の人と打ち合わせがある。 それまでに、いつもの私に戻らなければ。
私は私が思う以上に心の弱い人間だったのかもしれないと、思い知らされた夢だった。
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